誕生日おめでとうのメールをおくる

毎年の習慣だ。毎年の互いの悪習だ。何年にもわたる行事だ。コソコソとヒソヒソと。別人に読まれることを前提にした文章。埋め込んだつもりの暗号。隠したふりの本心。このメールの使い方は美しいとは言えない。

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おそらくあと10年たっても僕には埴谷雄高を理解することはできない。

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20年でもダメだと思う。彼の名前を知ってから死霊を手にしてから40年が過ぎようとしているけれど。次々と新章が発表され出版されて、埴谷自身が亡くなってしまったというのに、僕にはとうとう理解できない。佐藤くんや××くんは本当に理解していたのだろうか。僕は彼の名前さえもう忘れてしまっている。真意を理解はできないけれど読むことはできる。単行本は寝転がって読むには重すぎるけれど。文庫なら大した重さではないからだ。もう50肩もおさまりつつあるのだから。

お抱え学者の言動・説について質問された。意見を求められた。もちろん、僕などに答えられる訳がない。答える訳がない。物言えば唇が凍り付く時代だ。本当の意味での言論の自由はありはしない。言論の自由という枠そのものが偽なのだ。それにしても、この国はどうしてこんなにも人材不足に陥ってしまったのだろう。・・・どうでもいいけれど。・・僕はフラフラとふたたび自前の自分の世界に逃げ込む。

国道3号線

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このまま直進すれば福岡を経て東京まで一本道だ。この風景を見るたびに思い出すのは古い歌の歌詞だ。♬御堂筋は表参道に続いているんだ♬。僕にとって東京はずいぶん遠いところになった。いい意味でも悪い意味でも。

この交差点で振り向けば、右斜め後ろに城山が見える。明日は西郷隆盛の命日だ。彼は、もう一度東京に行きたかったのか、行きたくはなかったのか。彼はもう一度大久保に会いたかったのか。そうでもないのか。僕には解らない。

桜島の降灰が雪のように降り積もっている

それはまさに雪のように・・だ。横断歩道を消し、中央分離帯を消し、どぶ板には規則的な穴が浮かび上がる。そろそろ逆向きの風が吹いてもいい頃だ。まもなくきみの誕生日だから。年に二度だけ往復する携帯のメール。誕生日のメール。この日だけ黙認される。許されるのだ。

検閲を逃れる方法はいつしか身についた。

彼とすれ違った瞬間に思い出した。

彼とは面識もないし、おそらく知らない人物だ。けれど、その歩き方と服の組み合わせが全く別の人物を思い出させた。僕が調所広郷に会ったのは○○元年の夏だ。眩しすぎてかえって風景がかすんでしまいそうな午後だった。

 

今頃、神様たちの宴会もたけなわだろう。

ひさびさに顔を合わせるのだから、まあそれも仕方ない。仕事なんか後回しで、まずはいっぱい、もういっぱい。さあさ、飲めや歌えや・・やってることだろう。日本の神様もなんとなくかわいい。まつろわぬものたち、神にされてしまったものたち、祀られたものたち。神無月はかれらの季節だ。