強い雨。けれど冷たい雨ではない。

この季節にしては暖かい雨。長い間、こちらに舞い戻ってからずっと私の目を管理してくださっていた先生が今年いっぱいで辞められる。今日が最後の診察日となった。その理由を話してはくださらなかったけれど、わけを問うことなどできなかったけれど。

はじめて村上春樹を読んだのは極めて不純な動機からだった。

好かれたいと思ったからだ。正直言えば村上龍と区別できていなかった。最初に読んだのは「ノルウェイの森」ではなかった。手にした本が短編集だったのはたまたま図書室にあったからだったし、たくさんの話が読めると思ったからだ。その後、手に入るすべての作品を読むことになるのは、最初に彼の短編から入ったからなのだと思う。今でも、何度読み返しても、彼の短編はすばらしい。吉本隆明が「世界の終わりと・・・」を評して、かの内容を表現するのにこれだけ長い小説にする必要があるのか・・と書いたことに、ひそかににんまりしてしまったことを思い出した。私はいまだに村上春樹よりも吉本隆明の方が好きなのだ。もちろんどちらも好きだけれども、なくなってしまった人に勝つことはできないのだ。村上春樹は好きだけれども、すべてが最高であるなどとは思っていない。村上春樹が書いてもおもしろくないものはおもしろくない。もちろん私にとって・・・ということだし、今の私にとってということではあるのだけれど。

とても天気のよい文化の日。気温もあまり上がらなかった。こんな快晴の祝日、ストーブの掃除をして火をいれて。村上春樹をではなく、S・キングの昔々の短編集を読んでいた。食事をせずにオヤツだけを食べているから太るのである。

誰も褒めないから

自分で自分を褒める。1月1日から仕事したなんて、なんて偉いのだろう。口に出して言ってみてから、自分で自分に突っ込みをいれる。誰もがやってることなのだ。・・・・自暴自棄・・孟子が言ったのは逆の意味だったような気もする。覚えてはいないけれど。

 

台風がやってくる

午前二時。現時点で台風8号は私の西側からやってくる。けれど私の皮膚の感覚が、その事実を納得しない。雨戸も閉めたし、すべてのすだれも避難させたのだけれど。私の五感は何か違うと訴えている。

今。吉田剛太郎と長谷川博己がいい。どちらもシェークスピアをやっている。蜷川幸雄の演出をうけている。あらっぽい極悪人をやれる役者だ。とにかく久々にいい。そう思っている。

さて。この台風。朝にはどこにいるのだろうか。誤解を恐れずに言うと、私は台風が嫌いではない。

 

年の暮れには思っている

新年になったら、新年からは、新年こそは・・・・年の暮れには思っている。作業動作の鈍い私は、早い時期から大掃除し、おせちの準備と料理を始め、飾りつけはウラジロまで生のものを用意し、もちろんしめ縄もつけ。年越しそばも、年取りのお餅も・・・・けれども。新しい年は、まるで乗車拒否するタクシーのように、私の横を通り過ぎ、走り去ってしまう。猛スピードで、だ。上げた右手は下ろすタイミングを失って、こぶしに握っておつむポンだ。

私は何をやってるんだろう。こんな感じは、昔は2月末から3月になってやってきたのに。ここ数年は年の暮れから鏡開きの頃に私のところにやってくる。落ち込んでいるのではなく、悲しいのでもない。ただ思うのだ。私は何をやっているんだろう。

仕事は楽しい。