エグザイルの人がサングラスで泣いていたので

ボクシングの人がまた喧嘩でもして問題起こしたのかと尋ねたら、バッカじゃないの?と言われた。私には似ているように見えたのだ。違う人かも知れないとちょっと思ったのだけれど。まあどうでもいいことだ。

誰も褒めないから

自分で自分を褒める。1月1日から仕事したなんて、なんて偉いのだろう。口に出して言ってみてから、自分で自分に突っ込みをいれる。誰もがやってることなのだ。・・・・自暴自棄・・孟子が言ったのは逆の意味だったような気もする。覚えてはいないけれど。

 

クリスマス。ホテルの跡地で待ち合わせをした。

そこには昔、巨大なホテルがあった。そのずっと前にはボウリング場があったとか。今はこの街のメイン通り沿いの巨大な駐車場だ。待ち合わせ場所にソコを指定された。そんなトコロで待ち合わせ・・と思ったのだけれど。結果的には待ち合わせのメッカだった。人待ち顔の人たちがたくさんいた。着飾った美しい女性だったり、きっと友達を待っている男の子だったり、清潔な服装の男性は思いを寄せる女性を待っているのだ。忘年会やクリスマス会のおじさんの集まりは呑み会の前にすでに楽しそうだった。・・・そこは楽しいクリスマスのための待ち合わせ場所だった。知らなかったのは私だった。

私と彼女は、競争を始めた。どちらの待ち人が先にやってきてくれるか。きっと彼女も私を競争相手に決めていた。決めたはずだ。私は交通事情の読み間違いをした。約束時間の前に買い物をするつもりだったし、その買い物があっさり終わってしまった。だから約束時間の30分も前にソコに到着してしまっていた。だから。彼女の方が絶対に有利なのだろうなんて想像した。

暖かいクリスマスの夜の話だ。

 

 

土方のフィギアがきた。

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公安9課のアラマキとJ ディーヴァー、そして私に仕事をくださるSさんの顔は似ている。顔が似ているだけでなく3人とも知的である。3人ともみな好きだなぁ。顔がというわけではないけれど。遠藤先生はその人のことが好きで研究を進めていくと顔やスタイルが似てくるものだと。だから、若い子たちはどんどんスタイルが良くなって顔も美しくなるんだと、眼鏡からはずれたやさしい眼で話しておられたなぁ。だからって、ハイデッガーを研究してあの顔になるのはイヤだなあ。土方十四郎のフィギィアを置きながら思った。中井和哉の声はいいなあ。

 

誕生日おめでとうのメールをおくる

毎年の習慣だ。毎年の互いの悪習だ。何年にもわたる行事だ。コソコソとヒソヒソと。別人に読まれることを前提にした文章。埋め込んだつもりの暗号。隠したふりの本心。このメールの使い方は美しいとは言えない。

おそらくあと10年たっても僕には埴谷雄高を理解することはできない。

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20年でもダメだと思う。彼の名前を知ってから死霊を手にしてから40年が過ぎようとしているけれど。次々と新章が発表され出版されて、埴谷自身が亡くなってしまったというのに、僕にはとうとう理解できない。佐藤くんや××くんは本当に理解していたのだろうか。僕は彼の名前さえもう忘れてしまっている。真意を理解はできないけれど読むことはできる。単行本は寝転がって読むには重すぎるけれど。文庫なら大した重さではないからだ。もう50肩もおさまりつつあるのだから。

お抱え学者の言動・説について質問された。意見を求められた。もちろん、僕などに答えられる訳がない。答える訳がない。物言えば唇が凍り付く時代だ。本当の意味での言論の自由はありはしない。言論の自由という枠そのものが偽なのだ。それにしても、この国はどうしてこんなにも人材不足に陥ってしまったのだろう。・・・どうでもいいけれど。・・僕はフラフラとふたたび自前の自分の世界に逃げ込む。

国道3号線

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このまま直進すれば福岡を経て東京まで一本道だ。この風景を見るたびに思い出すのは古い歌の歌詞だ。♬御堂筋は表参道に続いているんだ♬。僕にとって東京はずいぶん遠いところになった。いい意味でも悪い意味でも。

この交差点で振り向けば、右斜め後ろに城山が見える。明日は西郷隆盛の命日だ。彼は、もう一度東京に行きたかったのか、行きたくはなかったのか。彼はもう一度大久保に会いたかったのか。そうでもないのか。僕には解らない。