どうした村上!・・村上春樹とスターリン。

相変わらず胸のカエルは出て行ってくれない。そのせいなのかも知れない。村上春樹が心に響かない。響かないどころか伝わってこない。入ってこない。おもしろくない。今の私には・・なのだけれど。読めないのだ。先へ行けないのだ。咳がでるのだ。どうした村上春樹・・ってか。スターリンの伝記の方が読みやすい。分厚い2冊本「勝利と悲劇」だ。古い本だ。おもしろい本だ。今、私は使い物にならない。そのせいだと思う。喘息には関係なくドミトリィー・ヴォルコーゴノフは読めるのに。

はじめて村上春樹を読んだのは極めて不純な動機からだった。

好かれたいと思ったからだ。正直言えば村上龍と区別できていなかった。最初に読んだのは「ノルウェイの森」ではなかった。手にした本が短編集だったのはたまたま図書室にあったからだったし、たくさんの話が読めると思ったからだ。その後、手に入るすべての作品を読むことになるのは、最初に彼の短編から入ったからなのだと思う。今でも、何度読み返しても、彼の短編はすばらしい。吉本隆明が「世界の終わりと・・・」を評して、かの内容を表現するのにこれだけ長い小説にする必要があるのか・・と書いたことに、ひそかににんまりしてしまったことを思い出した。私はいまだに村上春樹よりも吉本隆明の方が好きなのだ。もちろんどちらも好きだけれども、なくなってしまった人に勝つことはできないのだ。村上春樹は好きだけれども、すべてが最高であるなどとは思っていない。村上春樹が書いてもおもしろくないものはおもしろくない。もちろん私にとって・・・ということだし、今の私にとってということではあるのだけれど。

とても天気のよい文化の日。気温もあまり上がらなかった。こんな快晴の祝日、ストーブの掃除をして火をいれて。村上春樹をではなく、S・キングの昔々の短編集を読んでいた。食事をせずにオヤツだけを食べているから太るのである。

私は狂信的なファンなので、結局は買ってしまうけれど。

こんな書籍の売り方はちょっとおかしいと感じてしまう。私は吉本隆明のミーハー的なファンなので、紀伊國屋書店のあり方は嫌いではない。私はつかこうへいの熱心な信奉者だったので、紀伊國屋はとても評価していたし、評価している。「職業としての小説家」は小説ではないので、買う必要もないのだけれど。別に読まなくてもいいのだけれど。私は村上春樹の狂信的な読み手なので、結局は買ってしまう。私が好きなのは、彼がまだ大家ではなかったころの、それも不整合をいっぱい含んだ短編だ。

 

村上春樹がノーベル賞を取れないことは・・・納得できないわけではない。

この10年彼の小説はものすごく売れているのだろう。誰から誰まで村上春樹を持って歩いているのだろう。新しいスマホに行列するように、村上春樹に行列している絵も何回か見た。けれど、本当に読まれているのだろうか。アレはアレラは彼の渾身のできなのだろうか。売れているからいい小説だとは言えないはずで、正直彼に初期の魅力はない。彼の性格など分からないけれど、好きな作家だから。ちょっと悔しい。ノーベル賞のことではなくて。

おもしろい短編が読みたい。期待したい。

クリスマス・イブ T字路の件からさらに2時間、時は遡る。

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私は会費納入のために受付に並んでいた。その会は鹿児島ではメジャーな会でおばちゃんやおばあちゃんにかなりの会員を持つデパート系のものだ。本店に出向かなくても、いくつかの店の窓口でことは足りる。けれども、受付口が3つしかないココでは、先客があればかなりの待ち時間が必要となる。20分くらいも待った頃、私は受付とは別のレジの横に10冊ほどの雑誌が積まれているのに気付いてしまった。そして退屈だったものだから、表紙の文字を見てしまった。知ってはいたんだ。文藝春秋に村上春樹が書いていることを。あまりに暇で時間をもてあまし、目の前においしそうなごちそうが置かれていたものだから。つい買ってしまった。買ってしまったけれど。今日現在まだ、雑誌を開いてもいない。私にそれを許さない事情があるのだ。大げさに言ったけど、そんな大層なものではない。これもクリスマス・イブのできごとだ。